雑感 生成AIとHow to文化
生成AIについて語られる場では、どう使えばよいか、仕事にどう活用するか、良いプロンプトは何かといったHow to型の情報が非常に多い。書籍、講演会、研修、動画などでも、生成AIの便利な使い方、業務活用事例、プロンプト集といったテーマが目立つ。これは日本人だけに見られる現象ではないが、日本では特に強く表れやすい傾向があると考えられる。
その理由の一つは、新しい技術に対して何ができるかを自由に考えるより、正しい使い方を先に確認したいという行動様式である。日本の学校教育や企業文化の中では、既に設定された問題に対して正解を出す能力が重視されやすい。そのため、用途が明確でない技術に触れたとき、自分で使い道を考えるより、まず成功例や標準的な利用方法を知ろうとする。
生成AIは、この傾向を特に強く引き出す技術である。Excelであれば表計算、PowerPointであればプレゼンテーション、Photoshopであれば画像編集というように、従来のソフトウェアには比較的明確な用途がある。しかし生成AIは、言葉で指示すると多くのことができるという、非常に汎用的で曖昧な道具である。したがって利用者自身が、自分は何に使うのかを考えなければならない。
実はここが最も難しい。生成AIに答えを出させることよりも、何を問うべきか、何を任せるべきか、どこに問題があるのかを見つけることの方が難しいのである。その空白を埋めるものとして、How to本や活用セミナー、プロンプト集が大量に生まれる。
日本企業の文化も関係している。新しい方法を自分の判断で試し、失敗した場合には、その判断の根拠を説明する必要がある。一方で、他社でも使われている、書籍で紹介されている、セミナーで推奨されていたという材料があれば説明しやすい。つまりHow to情報は、単なる知識だけでなく、新しい行動を選択するための社会的な保証や免責装置としても機能している。
さらに、人は学んだことと実際に使えることを混同しやすい。生成AIの本を読み、講演会に参加し、プロンプト集を保存すると、それだけでAIを理解した、時代に遅れていないという感覚を持つことができる。しかし本当に価値を生み出すのは、その先である。
重要なのは、生成AIで何ができるかと尋ねることではなく、自分の仕事のどこに無駄があるか、今までできなかったことは何か、この技術があるならどんな新しい仕組みを作れるかを考えることである。
生成AIの利用者は、大きく三つの段階に分けて考えると分かりやすい。第一段階は、AIで何ができるかを知ろうとするHow to型である。第二段階は、この仕事をAIで楽にできないかと考える課題解決型である。そして第三段階は、AIがあるなら今まで存在しなかった何を作れるかと考える発明型である。
現在多く見られる生成AIセミナーや書籍は、第一段階から第二段階へ進むためには有効である。しかし技術の本当の面白さが現れるのは第三段階である。ここでは、AIそのものを学ぶことが目的ではなく、実現したいものが先にあり、そのためにAI、プログラミング、シミュレーション、データ処理などを組み合わせる。
これは1980年代のパソコン黎明期にも似ている。当時も、パソコンで何ができるかという質問が多く、ワープロ、住所録、家計簿などの用途が盛んに紹介された。しかし本当に新しいものを生み出した人々は、この機械で何ができるだろうと考え、自分でプログラムを書き始めた人たちであった。
生成AIも同じ段階にあると考えられる。How to本や活用セミナーが大量に存在するということは、裏を返せば、まだ生成AIが社会に完全には溶け込んでいないということである。
電卓の使い方を毎週学ぶ人はいない。Excelの業務活用だけを延々と聞き続ける人も少ない。それらは既に道具として定着しているからである。生成AIも本当に日常の道具になれば、AIをどう使うかという問い自体が次第に消えていく。
そのとき中心になる問いは、AIをどう活用するかではなく、自分は何をしたいのかである。生成AIの本質的な価値は、正しい使い方を覚えることではなく、これまで存在しなかった問いを発見し、新しい解決方法や仕組みを生み出すことにある。